STORY OF Flowrame-

食べたり作ったり、雑記も交えつつ

小説が読めなくなってきた

小説を「ちゃんと」読むのに集中できない。

 

私は元来読書は好きであり、勉強のためにも、頻度は落ちても欠かさないようにしている。新書や学術系の本は、内容の難解さにくじけることはあれど、「きちんと」読むようにしていた。

 

最近は小説が好きでよく読むが、順番通り「ちゃんと」読めない。

物にもよるが、特に「伏線回収系」の本を集中して読めない。理由はすぐに結論を求めてしまうから。

 

よく読む小説では、初めに固有名詞が出てきて、その固有名詞の外縁から解説され、数ページ後にやっと核心的な解説がなされ「ああ、そういうことか」と腑に落ちる。

 

これが小説の基本的な書き方なのかは定かではない。しかし、分からないことを分からないまま話を進めていくと、「これはどういうことなのか」という疑問が頭を巡り、集中できない。行を、ページを飛ばして、先が知りたい。けれどもそれでは先にネタバレしてしまうみたいでつまらない。のような葛藤が頭を常に駆け巡ってしまう。結果的に以前よりも疲れやすくなってしまった気がする。

 

理由はSNS、動画コンテンツの影響や、エンタメにおけるショートコンテンツの拡充などなど、枚挙にいとまがない。個人的にはネット記事、ネットニュースによる影響が大きい。

 

私は気になったらすぐ検索をし、調べる癖がある。ネット記事は基本結論が先に来て、後に詳しい解説が書いてある。そういう記事は検索上位に来やすいので、必然的に結論を先に知ることが多い。ネットニュースも、まず見出しで一番の結論を知り、前文で核心を知り、そこから本文で詳しい出来事、背景など外縁情報を知る。

 

つまり、ここ数年で、私の脳内が「結論を先に知った方が良い」という構造に変容してしまっている。すぐに情報を処理したいときは良いが、過程を楽しむ小説を適切に楽しむことが苦痛になってしまっている。おそらく映画も見るのがきつくなっている。そもそも映画を見なくなっているのが良い証拠だろう。

 

なんとか先の行に目が行かないように、必死に「読み進めないように」している。ただ、これだけ疑問を与えて夢中にさせるということは、それだけ良い文章だという証拠でもあると思う。速読が大事みたいな意見もあるが、もっとゆっくり、「行間を読む」くらいのゆとりを持ちたい。